シネマノート

シネマノート

シネマノートへようこそ。シネマノートは、映画ネタの雑文や情報を書いております。映画に興味のある方、ちょろっと読んでいって、感想などくださいな。

« 2000年04月 | メイン | 2005年01月 »

2001年11月04日

リアリティとイマジネーション『ファイナル・ファンタジー(FINAL FANTASY)』

関連カテゴリ: シネマ徒然

 あの『ファイナル・ファンタジー』が映画になる! 制作はスクウェア! 監督は坂口博信氏、そう、ゲームと同じ監督だ!
 
 このニュースを聞いたとき、「ついに作るのか!」というのが最初の感想。近年のゲーム『ファイナル・ファンタジー』シリーズにおける、コンピュータ・グラフィックスのクオリティ向上には目を見張るものがあった。それはもちろんコンピュータとソフトウェアのスペック向上に負うところが大きいのであるが、スクウェアの作り出す映像はそれに加えて、しっかりとした映像理論…というと偉そうですね、非常に“映画的”な手法を多用して映像を魅せてくれるものだった。ボクの中で、その延長線上には当然のように“映画製作”があった。実は、とても大きな期待をもって公開日を待っていたのである。
 しかし、雑誌記事や予告編など、小出しにされる情報を見聞きするにつれ、頭の中を疑問符が飛び交いはじめた。ハリウッドのスタッフが入るという。脚本は、SFでヒットを飛ばしているハリウッド人だ。プロデューサーは、あの『ストリート・ファイター』を作ってしまった日本人。そして中身は、どうもファンタジーではなく、SFらしい。
 
 過去にハリウッドが制作に絡んだ、ゲームが原作の映画はいくつかある。しかし『スーパーマリオ』はマリオの原色衣装が浮きまくりの上に『スーパーマリオ』とは名ばかりのストーリー、『ストリート・ファイター』は元キャラのイメージに囚われるあまりコスプレの域を出ず、『モータル・コンバット』は…あ、まだ観てないや、コレ。
 ゲームの実写化は、コミックやアニメの実写化と同じく、なかなか難しいようで。中途半端に元映像があり、ファンの思い入れが強い。なによりゲームの場合、ストーリーはプレイヤー自身が作るもの。一本道のストーリーを辿っていく映画とは大きく違う。見せ方もまた然り。
 熱烈なマニアを獲得している人気ゲーム『トゥーム・レイダー』の映画化でもこれは同じで、薄っぺらなアクション映画にしかなっていない。原作のおもしろさは、使い古されたギミックとストーリーでありながら、それを最新のリアルタイムCG技術でプレイヤーに疑似体験させたことにあると思う。それはゲームだからこその面白さではないか。映画化にあたっては、脚本家が10人変わり、紆余曲折の末ようやく完成をみたという話。それにしてはイマイチな物語。格好いいんだけど、格好いいシチュエーションや“スタイル”を寄せ集めただけで、格好いいMTV以外のものには成り得ていない。どうせなら中途半端なドラマは切り捨てて、『ハムナプトラ』シリーズのように潔くアクションアドベンチャーにすれば良かったのに。
 
 そして『ファイナル・ファンタジー』である。物語は原作のゲームとは全く関係なく、原作のもつ死生観のみをテーマとして引き継いでいる。そして実写ではなくフルCG。すべてをコンピュータで創り出した。その映像は、観るものに妙な違和感を与え、今までになかった感覚を呼び起こす。それは例えば、スーパーリアリズム絵画を観ているようなものである。しかし残念ながら、本作品ではそれが“心地よい違和感”までいっていない。映像からくる居心地の悪さを感じる場面が多い。
 都市建築物、銃器など、無機物のクオリティは素晴らしい。人間の造形も素晴らしい。髪の毛一本一本まで作られている。だけど、肌の質感が、これがどうにも。なんていうのか、マネキン人形にファンデーションを振りかけたような感じ? やっぱり「作り物だなぁ」と感じてしまう。顔が堅そう。表情に乏しい場面が多い。さらに、目線が明後日の方向を向いてしまっている。
 それに対して、人物の動き、モーションはとても滑らか。これはモーションキャプチャーを使ったからで、役者の動きをコンピュータに取り込んで使っているから。そう、モーション、それに“声”は、やっぱり本物の人間を使っているのである。

 世には、“バーチャルキャラクター”“バーチャルアイドル”なるものがたくさん誕生している。CGで細部まで作り上げられた、架空のアイドル、文字通り“偶像”である。見た目はCGで作っていても、それらを映像として使う際には、声が必要になる。どれだけCGで作っていても、結局そこで生身の人間が必要になってしまう。ボクなどは、その時点で興味は声優にいってしまう。その声優さんはどんな顔だろう。どんな性格だろう。現時点の技術では、コンピュータだけで世界のすべてを創り出すことはできない。だったら、はじめから実写でやって、本物の俳優を使って作ればよかったのに。本作品は原作とは全く別モノなんだから、ファンの思い入れを気にすることも無いわけだし。
 映像表現にしても、「すげぇ、これはCGならではだ!」というシーンが、記憶に残っていない。本作を実写SFX映画と仮定して、他のSFX映画と比較すると、作品中での“特殊効果”の使われ方が、実写映画での特殊効果の使われ方と大差がない。フルCGならではという映像が記憶に残っていない。言い換えれば、現在の高度で緻密なVFX・CGIを使えば、実写映画でも実写らしからぬ映像を創ることはできる。だったら実写でやればいい。
 現に、声優およびモーションアクターとして参加している役者は、声優ではなくそれぞれが一級品の役者。個性的な人々が揃っている。本当に素晴らしい役者が揃っている。もったいない。
 
 では、なぜフルCGで創る必要性があったのか。
 これはスクウェア自身が認めているように、映画製作で培ったノウハウをゲーム制作にフィードバックさせるという目的があったようである。そのためには、ハリウッドのスタッフではなく、個々では優秀な日本や世界のCGクリエイターを集めて作る必要があった。ここで蓄積されたものをゲームのクオリティ向上に活用したい、と。
 またもう一つ、CGクリエイターのレベルを押し上げることで、映画でのCG表現のクオリティ向上も目指しているのではないか。日本の映画製作現場は貧乏だという。実際、宣伝の「総制作費○○!」という金額がハリウッドとはケタが違う。貧乏のため、ハリウッドと比べると残念ながらCGに予算をかけることが出来ず、クオリティも低い。スクウェアは本作品のために、ハワイのホノルルにCG専門スタジオを立ち上げた。今後は、映像制作に役立てて欲しいとも言っている(坂口氏)。
 なにより、近い将来にハリウッドが作るであろうリアルフルCG映画よりも先に、日本資本でそれに挑戦したということ、これが一番、意味のあることだったといえる。
 ヒネリの無いストーリー、今一歩の映像であるけれども、パイオニアとしての役割は十分果たしたと思う。リアルフルCGへの大きな一歩を踏み出し、映画の歴史上、記念碑的な作品となったことは間違いない。
 同時に、これからスクウェアが制作する映画に期待したい…と思ったら、映画事業から撤退?
 
 スクウェアは、本作品が興行面で失敗、その赤字を理由に、映画事業から撤退するようである。今後はゲーム制作に専念するとか。…ちょっと待って欲しい。どうして一本制作しただけで終わらせてしまうのか。一本目で利益を出せるとでも思っていたのか。ゲーム業界の雄ではあっても、映画業界では“ぺーぺー”ではないか。映画製作はそんなに簡単に利益を上げられるものじゃないと、素人の私でも想像できる。スクウェアには、是非、次も映画を作って欲しい。二本目、三本目が観たい。映画のために集まったスタッフがもったいない。
 映画製作が無理でも、ホノルルのCG制作会社を、ILMやデジタルドメインと並ぶ、日本を代表するVFX制作スタジオとして成長させて欲しい。
 
 長々と書いてきたけど、これが言いたかった。スクウェア制作の、二本目のリアルフルCGムービーが観た

映画的:多くのゲームがまだ“ゲーム”の範疇でイベントシーンの映像を作っていた頃に、スクウェアは非常に挑戦的な姿勢でCG映像に取り組んでいたと感じる。
 
シリーズ:…と言いながら実はシリーズのほとんどは、かじった程度しかやっていなかったりする。
 
映画化:映画なら人間をしっかり描いた作品がたくさんある。ゲームにももちろんあるんだけど、そういうゲームはFFのようなメガヒットにならず、映画化の話も出てこない。
 
トゥーム・レイダー:だけど、このゲームはやったこと無いんだよね。ちょい無責任発言。
 
スーパーリアリズム:超現実主義。1970前後から登場した、絵画の表現手法の一つで、写実主義の極限といえる。緻密な描写により、写真と同じかそれ以上の現実感を鑑賞者に与える。観たものは、それが絵であることを認識しつつも一方であたかもそこに、現実にそれらの世界がそこに存在するかのように感じる。人間の脳の映像認識能力を逆用することで、鑑賞者に奇妙な既視感を与える。
 
表情:制作者は、「日本人は表情が少ないから、それに合わせて表情を抑えめで作った」とか。おいおい。
 
声:将来的にはこれもコンピュータで生成できる時代がくるのだろうか。

SFX:特撮のこと。Special effects(特殊効果)の発音がそう聞こえるからこう略すらしい。
 
モーションアクター:という呼び方があるのかどうか知らないけれど。
 
ゲーム:将来的には、リアルタイムフルCGネットワークRPGの『ファイナル・ファンタジー』をプレイできる日が来るのかもしれない。
 
予算:もちろん、予算をかける=いい映画になる、とは成り得ないことは承知の上でこの文章を書いています。
 
本作品の映像のクオリティ:ただ、カットによっては、「これは実写か?」と錯覚することもある。カットによって映像のクオリティに差があるようで、担当したクリエイターの力量の差がそのまま出ているのだろう。


 
●原作・監督・制作:坂口博信●制作:会田純 クリス・リー●共同監督:榊原幹典●脚本:アル・ライナー『アポロ13』●アニメーション・ディレクター:アンディー・ジョーンズ『タイタニック』●ステージング・ディレクター:タニ・クニタケ『マトリックス』『ファイト・クラブ』●音楽:エリオット・ゴールデンサル『インタビュー・ウィズ・バンパイア』『エイリアン3』

スクウェア・ピクチャーズ制作/全米配給:コロンビア・ピクチャーズ/オフィシャル・ブックス:デジキューブ/ノベライズ:角川書店●サウンドトラック:ソニー・クラシカル/エンディングテーマ:ラルク アン シエル「Spirit dreams inside」
2001年/アメリカ映画/カラー/ビスタサイズ/ドルビーSR、ドルビーデジタル、SDDS/上映時間:106分字幕監修:戸田奈津子 字幕翻訳:林完治/ギャガ・ヒューマックス共同配給